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長野地方裁判所 平成3年(行ク)4号 決定

長野県飯田市鼎西鼎六二七番地一

申立人

桐生健司

右代理人弁護士

毛利正道

松村文夫

長野県飯田市江戸町二八九番地一

相手方

飯田税務署長 山本孝志

右指定代理人

渡辺和義

佐藤鉄雄

棚橋新作

服部重雄

竹村政男

金子秀雄

水野浩

主文

本件申立を却下する。

理由

一  申立人(原告、以下「原告」という。)の文書提出命令申立の趣旨及びその理由

別紙1のとおり。

二  相手方(被告、以下「被告」という。)の意見

別紙2のとおり。

三  当裁判所の判断

当裁判所は、本件文書提出命令の申立は理由がないから、これを却下すべきものと判断する。

その理由は、次のとおりである。

1  行政庁を被告とする訴訟において、行政官署に存在する文書の提出命令が申立てられた場合、そこにいう文書の所持者とは、当該文書の保管の責に任じ、その閲覧の許否を決する権限を有する行政庁をいうものと解される。

ところで、本件で原告が提出を求めている比準同業者(被告の平成元年四月二〇日付準備書面別表の昭和五四年については順号1ないし27、昭和五五年については順号1ないし39、昭和五六年については順号1ないし36)の青色申告決算書(以下「本件文書」という。)のうち、被告が所持しているものは飯田税務署管内の文書のみであり、それは乙第八号証の二によると、昭和五四年の順号16、17、18、昭和五五年の順号25、26、27、昭和五六年の順号23、24、25であって、その余については、被告はこれを所持していないことが明らかであるから、昭和五四年の順号1ないし15、19ないし27、昭和五五年の順号1ないし24、28ないし39、昭和五六年の順号1ないし22、26ないし36の各青色申告決算書については、民訴法三一二条一号にいう当事者が「自ら所持する」の要件に該当しない。

2  原告は、本件文書が被告が被告の引用した文書であると主張する。しかしながら、被告が本訴で引用しているのは、長野県内の各税務署長が作成した同業者調査表であって、被告は、これにより推計の適法性及び合理性を立証しようとしているものであり、同業者調査表の作成の根拠となった当該個人が提出した青色申告決算書自体は引用していない。

したがって、被告が、乙第八号証の二を作成する際に参照した昭和五四年の順号16、17、18、昭和五五年の順号25、26、27、昭和五六年の順号23、24、25の各個人の提出した青色申告決算書は、被告の引用文書とはいえない。

3  また、仮に本件文書が引用文書であると解し得る余地があるとしても、被告は、国家公務員法一〇〇条一項及び所得税法二四三条により、守秘義務を負うので、民訴法三一二条所定の文書提出義務についても同法二七二条、二八一条一項一号等の規定を類推適用すべきである。

そして、本件文書中には、個人の秘密に属することが記載されていることは明白であり、これは被告が公務員として職務上知り得た秘密に他ならないから、被告には本件文書の提出義務は存しない。

4  なお、原告は本件各係争年分に係わる青色申告決算書のうち、氏名及び住所のうち市町村名以外の部分については、被告において隠したうえで提出することも可であると主張する。

しかしながら、文書提出命令の対象となる文書は、そのままの形で現に存在するものでなければならず、現存文書に加除変更を加えた上で、その文書を提出すべきことを命ずることは許されないものというべきところ、原告が提出を求める文書を被告が現に所持していないことは明らかであるから、本件申立ては、この点からも理由がない。

(裁判長裁判官 前島勝三 裁判官 菊地健治 裁判官 中山直子)

別紙1

一、文書の表示

被告準備書面(九)において、引用されている、原告の所得を算定する基礎となった比準同業者が被告に対し提出した本件係争年分に係る青色申告決算書(そのうち、氏名並びに市町村名以外の住所については、被告において隠したうえで提出することも可)。

二、文書の所持者

被告

三、文書の趣旨及び証すべき事実

1、第一に、乙第三号証の二以下の同業者調査表が真実当該同業者の青色申告決算書上の数値どおりであるとする被告主張には疑問がある。本件では、貴庁は同業者調査表作成者全員の証人調をすべしとする原告の正当な求めを排斥した。然るうえは、右被告主張の立証は青色申告決算書の提出によってのみなされるということになる(原告第一五準備書面第二、一参照)。

具体的な疑問としては、

(一) 修正申告の場合に、被告準備書面(一三)でのべる方法と経過で修正に係る数値が青色申告決算書に記入され、かつ、その数値がそのまま同業者調査表に記入されているか否か。

(二) 指示もないのに、九枚の同業者調査表が合理的推定に反して、すべて収入金額の多い方から低い方に同業者を並べてある(原告第一五準備書面第二、二1)。乙第二号証と比べればその異常性ははっきりしている。となると、九枚の同業者調査表の数値が青色申告決算書上の数値を写した(これならば、各署で扱いが区々になるはずである)のではなく、いずれかの段階で何人かが架空の数字を記入したものではないかとの推測も十分成立つ。現物をみて、この疑問を確認する必要がある。

(三) 小林証人は、既に事前に調査してあるはずなのに、一般通達に基づいて始めて同業者調査表を作成したと証言している(原告第一五準備書面二、二、2)。

この証言は、信用できない。となると、右(二)と同じ意味で、青色申告決算書上の数値ではない架空の数値が書き込まれている疑いがある。

2、第二、本件では税務調査に基づいて修正申告をなした者については、その青色申告決算書上の数値が修正申告書と同一であるとは立証されない。新井健司の甲第五二号証が存在するからである。原告第一七準備書面に述べたとおりである。したがって、調査担当者が確定申告の際の青色申告決算書の別項欄に書き込んだ数値を同業者調査表に記入した納税者の分については、その数値を同業者率算出にあたって排除すべきである。この排除すべき数値を、青色申告決算書で確認する必要がある。

3、第三に、本件においては人件費に関して、比準同業者の人件費の実額が明らかにされる必要がある。この点は既に十分論じてある。青色申告決算書には雇人費の項目が別枠で存在しており、これをみれば、一目瞭然となる。

四、その他の法律要件や争点については、昭和六三年四月二一日付文書提出命令申立書や、原告第八準備書面第三の主張をそのまま引用する。

別紙2

原告の平成二年一一月七日付け文書提出命令申立ては、以下に述べるとおり、却下されるべきである。

一 文書の所持者について

行政庁を被告とする訴訟において、行政官署に存する文書の提出命令が申立てられた場合、文書の所持者とは、当該文書の保管の責に任じ、その閲覧の許否を決定する権限を有する行政庁をいうものと解されるところ、本件申立てに係る昭和五四年分二七件、昭和五五年分三八件及び昭和五六年分三六件の同業者についての青色申告決算書(以下「本件青色決算書」という。)原本のうち被告が所持しているのは飯田税務署管内の文書のみであり、その余の文書については、被告は、文書の所持者に当たらないものである。

二 本件青色決算書原本が民訴法三一二条一号の引用文書に該当しないことについて、

被告は、本訴において被告の所轄管内及び長野、佐久、上田、諏訪、伊那、松本、大町、木曽、信濃中野の各税務署管内で原告と同種の土地家屋調査士業を営む個人の青色申告決算書等に基づいて同業者を抽出し、これら同業者の同業者率を算出して推計課税の主張及び立証している。

被告の右主張及び立証は、推計の合理性を担保するため、被告の上級官庁である関東信越国税局長が、作成基準を定めて前記各税務署長に対し発遣した通達(乙第三号証ないし一二号証(各枝番一))に基づいて、各税務署長が右通達に示された基準により、各所轄管内において青色申告をしている同業者の青色申告決算書を調査して作成した土地家屋調査士の同業者調査表(乙第三号証ないし一二号証(各枝番二)・以下「同業者調査表」という。)により、これをなしているものである。右同業者調査表は、右作成経緯からも明らかなとおり、本件青色決算書を参照し、その内容の一部に基づいて作成したものではあるが、それ自体文書として独立した意味内容を有し、形式上も青色申告決算書とは別個独立した文書である。

原告が、何をもって、被告において本件青色決算書を引用したと主張するのかは定かではないが、被告が同業者を抽出する際の基準として「所得税青色申告決算書を提出していた者」を採用した旨を述べたこと(平成元年四月二〇日付け被告準備書面(九)の第一の四、1(一)(2))をもって、右引用に当たると主張すると推測される。しかしながら、右被告の主張部分は、その記述から明らかなとおり、右通達に基づく同業者の抽出基準を述べているにすぎず、被告の推計課税の主張が本件青色決算書とは別個独立の右同業者調査表に基づくものであることは被告の右準備書面中の主張自体から明らかであり、被告が本件青色決算書を引用して主張を構成しているものと解する余地はない。

三 本件青色決算書原本の提出義務が存しない理由について

民訴法三一二条に定める文書提出義務は、裁判所の審理に協力すべき公法上の義務であり、基本的には、証人義務、証言義務と同一の性格のものと解されるから、文書所持者にも同法二七二条、二八一条一項一号などの規定が類推適用され、したがって、文書所持者に守秘義務のあるときは、右文書の提出義務を免れるというべきである。

青色申告決算書は、個人の秘密に属する所得金額、資産負債の内容等が記載された文書であって、文書を所持する税務署長は、所得税の調査に関し職務上知り得た右のような事項につき、国家公務員法一〇〇条一項、所得税法二四三条によって守秘義務を負うものであって、仮に訴訟当事者が、右青色申告決算書を訴訟において引用したからといって、各納税者の秘密保持の利益が無視されてよいことになるいわれはないから、税務署長は右秘匿部分について依然守秘義務を負っているものというべきであり、何が職務上の秘密に該当するか否かの実質的な判断は行政庁に委ねられていると解すべきである。

したがって、被告は、本件青色決算書原本のうち、所持しているものについても提出義務を負うものではないというべきである(平成元年三月六日広島高裁松江支部決定・税務訴訟資料第一六九号四六四ページ、鳥取地裁同年一月二五日決定・税務訴訟資料第一六九号九五ページ参照)。

四 申告者の氏名及び市町村名以外の住所を秘匿した本件青色決算書の不存在について

民訴法三一二条ないし三一四条所定の文書提出命令の制度は特定の文書の原本が現存することを前提とし、これを所持する訴訟当事者若しくは第三者にその提出を命ずるものである。

原告が文書提出を予備的に申立てている申告者の氏名及び市町村名以外の住所を秘匿した本件青色決算書は、いずれも現存しない文書であって、当然のことながら、被告は右いずれの文書も所持していないのである。したがって、右文書は共に文書提出命令の対象にはならないものである(前掲広島高裁松江支部決定、大阪高裁昭和六一年九月一〇日決定・訴訟資料第一五三号六一四ページ参照)。

なお、付言するに、たとえ申告者の氏名及び市町村名以外の住所を秘匿したとしても、従業員数、年令、給与額、減価償却資産の内容等がその筆跡とともに明らかになるので申告者が特定されるおそれがあり、原本となった青色申告者の匿名性(その申告者がだれであるかの特定がされないこと)、営業上の秘密及びプライバシーが侵害される危険が回避されるものではなく、また、被告に課せられている守秘義務に関する義務違反が、正当化されるというものでもないことは、三で述べたことと軌を一するものである。

五 本件青色決算書の必要性について

原告は、本件申立ての理由として、第一に、被告の同業者調査表のすべてが収入金額の多い方から低い方に同業者を並べてあること、小林証人の証言が信用できないことをもって、右同業者調査表の数値が青色申告決算書上の数値を写したものではなく、いずれかの段階で何人かが、架空の数値を記入したものではないかとの推測ができること。第二に、乙第八号証の二の昭和五五年分順号2の同業者は新井健司であるところ、同人は昭和五五年分の修正申告書の提出の際に青色申告決算書を提出しておらず、また、当該数値は同人が提出した修正申告書の数値と異なるから、同人の修正後の青色申告決算書は調査担当者が勝手に記載したものであり、したがって、税務調査に基づいた修正申告書のうち、調査担当者が修正申告の際に青色申告決算書の別項欄に書き込んだ数値を同業者調査表に記入した納税者の分について、その数値を同業者率算出にあたって排除すべきであるから、この排除すべき数値を確認したいこと。第三に被告が特別経費を含めた平均所得率により、原告の所得金額を推計できるのは、売上金額・所得金額の増減と特別経費の増減との間に密接な関連のある業種であることを被告において積極的に立証した場合に限られるべきであるから、同業者の人件費と売上金額との関係を確認したいこと。以上をもって、本件青色決算書が必要であると主張する。

しかしながら、被告は、原告の右本件申立て理由に対して次のとおり反論する。

第一については、被告の同業者調査表は、前記二で述べた方法で、各税務署長が右通達に示された基準により、同業者を機械的に抽出し、作成されたものであり、そこに被告のし意が介在する余地はないのであって、原告主張はあくまでも推測に基づいたものにすぎないのである。

第二については、平成三年九月一二日付け被告準備書面(一三)において述べたとおり、税務調査において申告所得金額に誤りがあり、納税者もその誤りを認めている場合に、納税者本人に代わって修正後の金額を青色申告決算書に記入し、納税者の事務負担の軽減を図ることから便宜上行っていることであり、さらに、国税通則法一二四条には、申告書等には申告者の氏名及び住所の記載並びに押印が義務付けられており、これにより本人の意思が反映されているものと思料されるところ、本件青色決算書の中に調査担当者が修正申告の際に青色申告決算書の別項欄に修正金額を記入したものがあるとしても、右修正金額を納税者本人に代わって記入し、かつ修正申告書等に申告者の氏名及び住所の記載並びに押印がなされているところから、修正後の青色申告決算書はとりもなおさず申告義務者の意思に基づいて作成されたものと言えるのである。

第三については、推計課税事件において、推計の合理性に関しては、申告の側に立証責任があり、本件においては、被告は同業者調査表を所得率算出のための推計資料として提出しているにすぎないものであって、これによって被告主張の類似要件の合理性自体がまず判断されるべきであるところ、被告は、現在までに右合理性を主張・立証してきており、これを超えて、本件文書により同業者の経営内容の詳細を比較しなければ合理性の判断ができないとか、原告の反証に困難をきたすというものでないことは明らかである。

いずれにしても本件青色決算書がなければ、推計の合理性に関する原告の反証ができないという性質のものではない。

したがって、本件申立ては、証拠としての必要性も認めることはできない。

六 以上のとおりであって、原告の本件文書提出命令の申立てはいずれの点からも理由がないから、速やかに却下されるべきものである。

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